2014年8月29日金曜日

調和のバランス

全てのものは調和的に存在してる、のかもしれないな…と最近思ったり。
どんなにエネルギーが凄い強烈な…例えば石であっても。その石自身は、周りの世界と協調するように存在していたりするのでは?と。

どんな存在でも、エネルギーを持っていることは普通のことだろうし。
そのエネルギーと協調、調和するってことは、片側から見ると、そのエネルギーに対してちょうどいいように変わることよね。
反対側も、同じように、こちらのエネルギーに対してちょうどいいように変わってるはず。
そうして、お互いに相手のエネルギーに合わせて、変化に合わせて、変わっていくことで協調して調和していく。
この、お互いに~ってことは、コミュニケーションのひとつよね。

2014年6月17日火曜日

豊かさ…?

ふと思ったのだけど。
形あるもの、ないもの、何であれ、何かを得られたから「豊かだ」と感じることはよくあることだけど。
今ある豊かさに気付くこと、大切かも。
今ある豊かさも、「有るから」豊かだと感じられる、ではないかもしれない。

では、「豊かさ」って何だろう?
個人が「豊かだ」と感じられることに限ってはいないような気がしてならない。
「「豊かだ」と感じる」って、何だろう?

個人が「自分は豊かでない」と感じ、思い、考えても、それとは無関係に世界は豊かであり、その個人も、その豊かさを享受している。
何だろうこれは…?
豊かだと感じることは、気付いたこと自体の祝福?

2014年6月8日日曜日

厳しく試すのがお好き?

最近気が付いたのは、「何かに翻弄される私」ってタイプのドラマは好きじゃないんだなぁ、ってこと。
まだ、その嫌なドラマをやめるってところまではできていない気がするけど。そのうち、ね。

だからなのかな、物事を「試練」って考えるのは好まない。
基本的に、私は「試練」って思わない。
思わなくなったのか、元からそうなのかはわからない。

「試練」を辞書で調べてみると「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと。また、その時に受ける苦難。」って書かれてる。

何で「厳しく試す」をしなきゃいけないの?
何でわざわざ「その時に受ける苦難」を受けなきゃいけないの?
決心の固さや、実力だって、別に「厳しく試す」なんてしなくても。

2014年4月27日日曜日

問題をなんとかするには

問題をどうにかしたければ、まず、「自分は何をどうしたいのか」を認識する必要があるかも。
その為には、何が自分にとって問題なのか、自分にとってのこの問題の本質は何なのかを、しっかりと認識する。そういうことでもあるよね。現状をしっかりと認識することも、必要よね。
別の言い方をすれば、自分にとっての、「こうなれば解決」を認識することでもあるよね。

この、問題の整理が苦手な人もいるのよね。
頭の中だけでやるのが苦手なら、紙に書き出すなりして、整理してみたらいいと思う。
「何をどうしたいのか」が分かれば、その為には「何をすればいいのか」が分かってくるから。


2014年3月16日日曜日

十得ナイフを手放そう

「手放す」って、ただ、手を放すだけのこと。
手を放したら、二度とその手に掴めないわけではないし。
二度と、再び手にしてはいけないことでもないし。
必要なら、必要なときに、また持てばいいってだけのこと。

「手放せてない」ってことは。
いつもスタンバイして持っている状態。
必要でないときも。
いつか必要になるからと、ずっとそれを持っている状態。
それで手が塞がっている。


例えば、十得ナイフを手に持って握り締めているとします。
何かあったとき、万能に使えて便利ですよね。
はさみが必要なとき、ナイフが必要なとき、栓抜きが必要なとき、爪きりが必要なとき、何でもこの握り締めた十得ナイフが役に立ちます。

でも、所詮十得ナイフ。
料理をするときは、十得ナイフよりも包丁を使った方がいいですよね。
爪やすりも、専用の爪やすりの方が扱いやすくて手入れがし易いですよね。
草を刈るのも、草刈り用の鎌を使った方が、全然効率がよいはずです。


2014年2月26日水曜日

生きること、悟ること

悟るってことは、ある一定の状態に到達する、ゴールみたいなもの…ではないかもしれない。
気付くこと、気付いて変わるたびに、悟っているのかもしれない。
私達は、何度も、何度も、悟りを繰り返しているのかもしれない。

生きることって、スピリチュアルな成長過程、成長をするってことだと思うので。
生きることは即ち悟ることなのかもしれない。

最近、そんなことを考えていたり。