傷が治るまで、大事にするのは当然ですよね?
治った元の状態だったら何もせずともバリアされる状況でも、傷の状態だと守れないから、意識して守る、絆創膏をはったり、包帯で巻いたり、汚れがつかないようにしたり、水がかからないようにしたり、物が当たらないようにするのは、当然ですよね?
泥がついていたら、洗い流したり、消毒するのは当然ですよね?
傷付いてることすら認められなかったりするのは何故でしょう?
何もせず放置して痛くても守らずにいてもいいとしてしまうのは何故でしょう?
わざと泥を擦り付けて、傷なんてないんだ!とパフォーマンスするのは何故でしょう?
傷付いていること、傷を治そうとすることが、当たり前のことと思えないのは何故でしょう?
それが恥ずかしいことだと思うのは、どうしてでしょう?
見えないから?自分は痛いと感じていても、目に見えないから「痛い」は無視するのですか?それは何故?
その傷は、誰かに見せなければいけないのですか?
その傷を治そうとしているってことを、誰かに知って貰わないといけないのですか?
治すことを手伝ってもらう相手に見せるのは当然でしょうが、関係ない人に見せる必要はありますか?あるとしたら、何故そうしなければいけないのでしょうか?
もし、治すことを手伝って貰う相手に見せるのが恥ずかしい、見せたくないと思うのだとしたら、それはどうしてでしょう?
あなたは、怪我の治療に訪れた病院で、それを見せて下さいと言われて、恥ずかしい、見せたくないと拒むのでしょうか?
もし「傷を治す」なら恥ずかしくなく、「傷を癒す」が恥ずかしいのだとしたら、あなたにとって「癒す」とはどういうことですか?
辞書的に「癒す」の意味は「病気や傷をなおす。苦痛や飢えなどをなおしたりやわらげたりする。」ですが、あなたにとって「癒す」は違う意味だったり、違うニュアンスを含んでいたりするのでしょうか?
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