人は皆、ユニークでそれぞれに特別で素晴らしい存在です。
他者と違いがあって当然ですし、他者と優劣を比較する必要はどこにもありません。
ですが、人は自分は他人より劣っていると感じがちですし、他者より優越していたいと望みがちです。
その「他者より劣っていないんだ」や「他者より優れているんだ」の裏付けを求めて、他者を扱き下ろしたり、自分は特別なのだと思ったり、資格取得でそれを証明しようとしたり、あるいはスピリチュアルな何か特別な力を手に入れようとしてしまいがちです。
それは「してはいけないこと」や「悪」ではないのですが。そう考えて、「それらをやっていない私は、やっている人達よりも優れている」と感じたい、も同じことです。
重ねて書きますが、それは「劣った望み」でも「悪いこと」でも「してはいけないこと」でもありません。
また、競争…例えば駆けっこで順位をつけることは、優劣を決めることではありません。
それはただ、走る速さの順位でしかありません。走ることが遅いということは、ただ単に速い人と比べて遅いというだけで、劣ったことではありません。
「走る速さが速いことが優れたことだ」という基準があって、はじめて「遅い」は「速い」より劣ることになるだけです。
人生もそうです。
誰の人生もそれぞれにユニークで素晴らしく、優劣などないのです。
劣っていると感じたり、愚かさを感じたり、正しい人生を歩んでいないと感じたりするのであれば、何らかの基準を採用しているだけです。
自分の人生を正解に導くための、真似すべき他者の人生などありません。
全ての人生がありのままで正解です。
真似しても正解ですが、真似しなくとも正解なんです。真似するから正解になるわけではないのです。
より良くなりたい、駆けっこが速くなりたい、そう願って実現に向けて行動を起こすことには、別に「劣っているから」という原動力を必要とはしません。
ですが、「劣っていたくない、優れていたい」という思いは、強い力になり、非常に役に立ちます。
ドーピングのようなものですね。
もちろんこれも「してはいけないこと」でも「悪いこと」でもありません。
優劣も、やっぱりジャッジすることと絡むのだなぁと。
ジャッジしてはいけない、ではなくて、ジャッジしなくてもいい。
ジャッジする必要って何だろう?
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