2013年10月2日水曜日

「ジャッジ」をやめる…?

「ジャッジをしない」「評価をしない」
よく言われたり、目にしたりしますよね。
スピリチュアルに限らず、心理系、精神的な障害を乗り越える方法とか、自己啓発とか、哲学とか。
そうしたら良くなれる、楽になれるって。

でも、ついついジャッジしちゃいますよね。
「あぁ、またやってしまった、ダメだダメだ…」って、これもジャッジ(笑)

私のジャッジ癖をよーーーく見ると。
悪く見る、ダメに見る、否定するジャッジが多かった。
「こんなこともできない私はダメ」「悪く見るのはダメ」「否定も良くない」
ほら、否定だらけ(笑)

そして、これに続くのが
「できるようにならなきゃ
「悪く見るんじゃなくて、良いと見なきゃ
「否定じゃなくて受け入れなきゃ

より良くなることを願ったり望んでいるように見えて、「そうしなきゃ」と強制してる。
それ、願いでも望みでもないよね。強制、押し付けだよね。
ねばならない」の、ねばねば地獄。

これ、やめなきゃ…じゃなくて、「やめたい」って思った。 ←思い直した(笑)
それで「どうしたらいいだろう?」と求めて、思い付いたのは。

「全部OK」ってしたらどうだろう?

どうせジャッジしてしまうなら、「ダメ」と悪いほうにジャッジするんじゃなくて、「イイ」って良いほうにジャッジしてしまおう。
そうして、何もかも全部受け入れちゃえ!って。


できるだけ、ジャッジしようとしてることに気が付いたら「それでいいの」に変えて受け入れる。
「いいこと」にしようとすると出てくる感情にはちゃんと向き合って。
感情を解決した上で、「イイ」にする。受け入れる。
だって、全部OKなのだから。

失敗は気にしない。失敗してもOK。
「ダメ」ってジャッジしちゃっても、感情を抑え付けて「それでいい」って無理矢理しちゃっても、口先だけで「イイ」って言って済ませてしまっても、それもOK。
だって、全部OKなのだから。

「強制しちゃダメ」「ねばならないって思っちゃダメ」も、同じく否定なので。
「強制しちゃう癖出ちゃったね~、でもそれもOK」
「ねばねばまた言っちゃってるね~、でもそれもOK」
だって、全部OKなのだから。

「ジャッジしちゃったことをダメ」にするんじゃなくて「ジャッジしちゃうこともOK」に。
「強制しちゃダメって思っちゃったねぇ、でもそれもOK」
「ねばねば思っちゃダメって思っちゃったねぇ、でもそれもOK」
だって、全部OKなのだから。 (←いい加減しつこい)

「ジャッジをやめたい」って決めたけど、それにこだわらずに一旦手放して気にしないことに。
大丈夫、こだわらなくても、沢山失敗しても、そっちの方向に私は向かうことが出来る。
そう信じて。


かくして。
最初は半ば無理矢理、自分に言い聞かせるように、説得するかのように、「全部OK」ってしていたのですが。
3ヶ月くらい経った頃だったかな?
気が付いたら、「それもOK」が随分腑に落ちてる自分を見つけたんです。
「それ」もOKだし、「それがOKであること」に腹立ててる自分もOKだし、腹を立てていても「それがOK」でも気が済む。
「それに腹を立てた自分」に腹を立てたり苛立つことがなくなった。
腹を立てたりしなくても、必要があれば気付けて、楽々とワークできるようになった。
ワークしてるときに出てくる自分のこだわりも、「悪いモノだから変える」じゃなくなってきてた。
「いらないから変える」の「いらない」に、敵視の感情が入らなくなった。

ワークを「しなきゃ」が減って行った。
これまでは「しなきゃ」って勢いをつけなきゃ取り組めなかったのかな?
問題を見つけても、やりたくないと感じる時はワークしなくても平気になった。
前は罪悪感を募らせるか、無理に頑張ってやるか、だった気がする。
放って置いた問題が、更に強く酷い事件を引き起こしたとしても、「やらなかった私が悪い!私のバカバカバカ!!!」ではなくて、「私ってば仕方が無いなぁ(笑)」になった。

ワークをしてない感と、してないことへの罪悪感も、どんどん減って行った。
今までは自分にダメ出し、否定ばかりしてたのが、しなくなった。
自分のダメなところに嫌悪感や罪悪感、残念な気持ちを感じることなく見れるようになった。
「私はダメ」というジャッジが無くても、ダメな私を受け入れられるようになった。
そうか、私はダメな自分を受け入れるために「私はダメ」というジャッジをすることが必要だったのか…。

自分以外のことにも、自然とOKに思えるものが増えて、意識しなくてもOKにできるというか、OKなのだからわざわざOK出さなくて良くなった。
それはつまり「ジャッジしない」ってことなのかも?

昔は、形から入るのってあまり好きではなかったけど。
意味も分からず形だけ「全部OK」ってやってても、意味無いって思っていたけど。
それでも、ちゃんと染み込んでいくんだなぁ、これもアリなんだなぁって。

何らかのループから抜け出すには、どこかでその環を破るのがひとつの手。
その「どこか」は、どこでもいいのかもしれない。

「ジャッジするのをやめたい」と決めて手放したら、「全部OKってするワーク」を編み出して、「ジャッジしない」自体を手に入れはじめた。
その経過の中で、「自分にダメ評価を付けなくても、ダメな自分も受け入れられる」や「形から入ることを受け入れられる」等、色んなことを手に入れているなぁ。

今思うと、この時点では「"素晴らしい自分"を受け入れる」は、まだ手にしてないんだなぁと。
「ありのままの自分」には、「ダメな自分」だけじゃなくて「素晴らしい自分」も含まれるんだよ、ね。
「ダメな自分をそのまま受け入れる」では、まだ「半分」なのかもね。

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