2013年11月9日土曜日

叔母のお見舞いに絡んだドラマ

ちょっと前に、大阪の叔母のお見舞いに飛んで行くことになって。
10年振り…いや、もっと会っていなかったかな?な叔母と、祖母達に会ってきました。

なぜか私だけ、とても疎遠になってしまっていたんですよね。
そのせいもあって、会う前に様々な心配や不安が怒涛のように沸き起こって。
まるで「はじめてのおつかい」をする子供のようでしたよ、我ながら(笑)

電話で多少話しをしていても、会っていないっていうのは、自分の中で勝手に想像が働いて、本当の本人の姿を見えなくしてしまうんだなぁと、改めて思いました。
祖母達は耳がもう相当遠いので、電話では会話するのが難しいってのもあるのですけどもね。
叔母の耳は大丈夫なのですが。

会ってしまえば、そんなのは誤解だと簡単に分かることでも。
自分の勝手な想像の中では、私の不安によって私が怖れていることを相手の姿のイメージが演じてくれます。それこそ、私の不安や心配の思い通りに。




本当の叔母がどんな反応をするのか、ではなくて。
私の想像の中の私の不安どおりに演じてくれる叔母のイメージだけに夢中になってしまうんですよね。
叔母はそんなこと言わないって信じようとしても、「いやいや、私はあまり叔母を知らない。いつも明るく朗らかに対応しているのは表の顔だ。裏では私のことを疎ましく思っているかもしれないじゃないか」と、不信をどんどん煽る声が心の中から聞こえてくる。
それは、私の中の不安が囁いているだけ。

そんな不安に揺れている状態に、更に拍車をかける出来事が起こる。

「おばあちゃん達はもう相当の歳なのだから、叔母(祖母と暮らしている)の家に泊まって、おばあちゃん達に迷惑かけるのはどうかと思うよ?
叔母さんは気にせず泊まってもいいって言ってくれてても、本当は困っているのかもよ?」
と、これまた心配性の母の言葉に揺さぶられる。
母は母で、母なりの不安や不信に揺さぶられていての、この発言なのですが。

安定している状態で聞けば「あぁ、母も何か不安を抱えてるんだな」「でも、叔母は本心から、泊まってくれた方が祖母達を見ててくれる人がいるだけで安心が増すから、どんどん泊まって欲しいって言ってる」と、信じて聞いていられるのですが。
私も似た不安に陥っているので、母の勝手な予想の「迷惑をかける」「困らせてしまう」って言を採用して、「もしかしたら…!?」と、自分の不安をどんどん増幅する。

叔母は電話でも、何度も「助かる」と言ってくれている。
でも、それを信じられないのは、叔母を信じられないのは、私が私の不安を信じちゃっているから。
叔母の言葉を信じるより、私の不安を信じたほうが安全なのだと選んでしまっているから。
それはどうして?

このあたりが、ワークのポイントだったわけですよね。
結局は、これに気付かずに、これまでの自分のやり方で何とかしてしまいました。

これまでのやり方っていうのは。
自分の不安をなだめつつ、どんどん事を進めて動かざるを得なくして。
不安に怯えながら行動して。
「ほら、やっぱり大丈夫だったじゃない!」を何度も実感し。
「不安なんか抱えなくても大丈夫だったじゃない。私、できたじゃない!」と、褒めてるのか、不安に陥っていた私を責めているのか(笑)
多分、両方ですよね。後者の方が強いかも。

ワークできてたら、安心して行動できて、安心して「ほらね、大丈夫だよね」と「ほらね、大丈夫だったよね、よくやったね!」と優しく自分に語りかけ、褒められたのに…
まだ私は、自分を痛めつけるやり方が好きなようです(笑)


このことに気付くには、ひと波乱ありました。
帰ってきてから、「案外私、大丈夫なんじゃん。動けるじゃん」と自信を持てはしてたのですが。
その先もどんどん動ける、いい感じになるんじゃないかとの楽天的に考えていたのですが。

その後、何故か引き篭もるように。
行きたいと思っていた場所にも、全然行けなくなり。
何とかしたいなぁと思って参加を予定していたシータ関係のコト(行けばペアワークする)も、断念してしまったり。

えー!?私、この引き篭もりをどうにか解消することを、シータで自分でやることも、誰かに手助けして貰うことですらも、嫌がってるの!?
と思いつつ、仕方が無いか~と自分を許してあげていたら。

セミナー開催中の友達から、「受講生さんのペアワーク相手が居ないので、Skypeでセッションの相手になってあげてくれない?」との申し出をして貰えて。
セミナーのテーマと合わないと思って、状況を伝えたのだけど。 ←ほらね、解消嫌がってるんですよ(笑)
「そんなことない、是非是非!」って言って貰えて。
強く背中を押しして貰えて、セッション受けることが出来ました。

セッションで出てきたことは。
これまで出てきたことが無かった、父方と思われる遺伝的なもの。
「相手の苦しみを自分の身に引き受けることで、相手を癒せる」との思い込み。
それから、病院で貰ってきてしまった様々なエネルギー。浮遊記憶とかソウルフラグメントとか、色々。

「自分の身に引き受けて相手を癒す」系は、シータでは相当早い時期に引き抜いて解消させるもの。
でないと、他人を癒す時に自分を犠牲にしちゃうからね。
犠牲は必要ない。犠牲を差し出したいのは自分のこだわりや思い込みなだけ。
犠牲とエネルギー交換は関係ない。

とっくに私自身は持っていないと思っていたのだけど。
叔母は父の妹なので、今回大阪に行くことで縁が繋ぎなおされた為に出てきたのかもなぁ?と。

それから。
私は、私自身の臆病な部分を「ビビリ」と表現していたのですが。
このことも癒して貰えました。
「ビビリ」って受け取っていたものを「慎重」に変えて貰えました。

前は「ビビリ」に対して、悪い意味を持っているつもりは全然無かったのですが。
言われてみたら、ビビリって何か恥ずかしいことに近いような、ビビってるのは弱いことに近いような、そんな、少し良くない感情を持っていたようです。
「私ってビビリみたいなんですよ~」って、「私ってすぐミスしちゃうダメな人なんですよ~」って言うのに近い感覚だったなぁ…と。

そのビビリがダメなのだから、厳しく、キツク当たるように対処しなきゃいけないから。
シータで解消して優しくしてあげるのはダメだから。
だから、これまでの方法で、ビシバシとやらなきゃダメだったんでしょうね。
ビシバシに傷付いて、意気消沈して、引き篭もってしまってたんでしょうね。

ということで、なんだか全てが繋がった感。


本当に、起こる全てが最高最善、絶妙に構成されているんだなぁ…と改めて感心してしまったり。
この件のお陰で、会いたいなぁって思ってるのに会えていない人と、またすれ違ってしまったようなのですが。そのことさえも、多分、最高最善に図られているんだろうなぁ。

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