2014年2月26日水曜日

生きること、悟ること

悟るってことは、ある一定の状態に到達する、ゴールみたいなもの…ではないかもしれない。
気付くこと、気付いて変わるたびに、悟っているのかもしれない。
私達は、何度も、何度も、悟りを繰り返しているのかもしれない。

生きることって、スピリチュアルな成長過程、成長をするってことだと思うので。
生きることは即ち悟ることなのかもしれない。

最近、そんなことを考えていたり。

2014年2月15日土曜日

セッションのご感想を頂きました♪

先日、30分間のシータヒーリング™のセッションをさせていただいた方から、ご感想を頂けました。



ヒーリングセッションってコミックで(体験者側ではなく、相談を受ける側視点)で読んだのぐらいで
そのイメージのままでいたので、ベットに横になって催眠術的な感じ?
って思っていましたが、全然気楽なものでした。
私的には、目をつぶっていたらなにか映像が頭に浮かぶとか?!
とか思っていましたが、そういう事ではなかったですねw
でも、なんとなく頭の中はロウソクのイメージ・・・なんですかね?
自分でもよくわからないですが。

相談事も日常のちょっとした、イライラすること。
毎日々イラっとしていたことをセッションしてもらって
自分でも思ってもいない、深~いテーマ?←でいいのかしら・・・?
が判明したのでした・・・
判明したテーマについては、まだ全然実感がわかない感じではいますが
日々のイライラはピッタリと治まったのでした!スゴイ!
30分と短いセッションでしたが、また違う事でやってみたいと思っています♪



気に入って頂けたようです♪

僅かにイラッとすること、1回1回は大したことがないことでも、毎日それが続いては、沢山のイライラがストレスとして蓄積していくってことですよね。
それがスッキリされたようで、本当に良かったです。

2014年2月6日木曜日

我慢をしていますか?忍耐をしていますか?

辛い思いをされている方からよく聞く言葉が、「我慢」。

幸せになるには、○○を我慢しなきゃ。
○○と仲良くいるには、私が我慢をしなきゃ。
痩せるには、食べることを我慢しなきゃ。

それって、本当?
本当に自分がやりたいこと?
本当に自分が選びたい方法?

幸せになりたい。誰かと仲良くいたい。痩せたい。
それが本当にやりたいことなのは間違いないでしょうが。
その為の方法には、「我慢」しかないの?
言ってることが「我慢がしたい」になってない?


2014年1月20日月曜日

望みを叶えるのに大切なこと

先日、ある方とお話していて、その方に教えてもらったのですが。
「食べるときを幸せと楽しい時間にする」
とーーっても素敵なアイディアなので、是非是非、シェアしたい♪


なんて楽しいことを思いつくことが出来る方なのでしょう♪
聞いただけで心がウキウキしてしまったので、私も倣って、そうすることに決めました。
決めただけでも、心はハッピー♪
さぁ、どうやってこれを実現しよう??も、ウキウキ、ワクワク♪

私の場合、今これまでは「食べるとき」ってどんなときになってるかな?を、先ず、考えてみました。
これを、「幸せと楽しい時間」に変えるには、何から始めよう?
それが、私にとっての「食べるときを幸せと楽しい時間」にするための方法の、とっかかりですよね。

願いを叶える、目的を果たす、目標を達成する。
その為に必要なことってこーゆーこと、「決める」ところから始まるわけですよね。


2014年1月10日金曜日

「今」の全てを大切にする

昨年の冬の初めにあったMind Body Studies のワークショップ、体験参加の3日間、とても楽しんで参加してきました。

身体の声を聞く。
これまでもの凄く不得意だったこと。自分の身体の感覚をより感じられるようになった、そのコツをひとつ掴んだような気がします。

自分に向き合う。
自分の身体に向き合う。
どこが何を感じてるのか。
どこがどんな風に動いているのか。
どう変わるのか。

そして、大事にする。
痛いやり方はやめて、痛くないやり方、心地よいやり方を選ぶ。
他の方法を色々試してみて、よいやり方を選んで、動きの質を良くしていく。



自分の身体は自分のものだから大事にする、とは違うのかも。
それは「今」自分が知覚している全てを大切にするってことかもしれない。

2013年11月9日土曜日

叔母のお見舞いに絡んだドラマ

ちょっと前に、大阪の叔母のお見舞いに飛んで行くことになって。
10年振り…いや、もっと会っていなかったかな?な叔母と、祖母達に会ってきました。

なぜか私だけ、とても疎遠になってしまっていたんですよね。
そのせいもあって、会う前に様々な心配や不安が怒涛のように沸き起こって。
まるで「はじめてのおつかい」をする子供のようでしたよ、我ながら(笑)

電話で多少話しをしていても、会っていないっていうのは、自分の中で勝手に想像が働いて、本当の本人の姿を見えなくしてしまうんだなぁと、改めて思いました。
祖母達は耳がもう相当遠いので、電話では会話するのが難しいってのもあるのですけどもね。
叔母の耳は大丈夫なのですが。

会ってしまえば、そんなのは誤解だと簡単に分かることでも。
自分の勝手な想像の中では、私の不安によって私が怖れていることを相手の姿のイメージが演じてくれます。それこそ、私の不安や心配の思い通りに。


2013年10月26日土曜日

私にとって合う「優しい」とは

病気と障害で学んだこと、気付いたことを、思い出せるものを振り返ってます。
中でも、衝撃的だったのは、私にとって合う「優しい」について。

シータで出会う人達は、みんな優しいんです。
優しさ、愛に溢れている。
誰もがそれぞれに個性的で、優しさや愛の表現も、またそれぞれに個性的。
クリアリングされていない問題で表現が歪む人もいれば、魂の向いている方向からそうなる人もいるけど、どっちでも、どんな理由でも、本人ではない私には関係ない。

人によっては、それが厳格さや厳しさとして見えたりもします。
それは、私の目から見たら、というだけ。誰から見ても、である必要も無い。
厳しく当たられているように私には見えたり感じたりしても、愛からだと心から理解している私が居るわけです。

愛の受容体があるから、分かるんでしょうね♪
そして、その愛を受け取れる。優しさだとも受け取れる。

でも。
私の好みの問題ですが、どんな優しさの表現を好むのか、が私にもある。
どれだけ相手が愛からそれをしていたとしても、私が好まない表現というものがある。
私は、私の好みの表現を選んでいい。
好まないものは、受け取らなくていい。

そんな単純なことに、はっと気付いたんですよ。