先日、ある方とお話していて、その方に教えてもらったのですが。
「食べるときを幸せと楽しい時間にする」
とーーっても素敵なアイディアなので、是非是非、シェアしたい♪
なんて楽しいことを思いつくことが出来る方なのでしょう♪
聞いただけで心がウキウキしてしまったので、私も倣って、そうすることに決めました。
決めただけでも、心はハッピー♪
さぁ、どうやってこれを実現しよう??も、ウキウキ、ワクワク♪
私の場合、今これまでは「食べるとき」ってどんなときになってるかな?を、先ず、考えてみました。
これを、「幸せと楽しい時間」に変えるには、何から始めよう?
それが、私にとっての「食べるときを幸せと楽しい時間」にするための方法の、とっかかりですよね。
願いを叶える、目的を果たす、目標を達成する。
その為に必要なことってこーゆーこと、「決める」ところから始まるわけですよね。
2014年1月20日月曜日
2014年1月10日金曜日
「今」の全てを大切にする
昨年の冬の初めにあったMind Body Studies のワークショップ、体験参加の3日間、とても楽しんで参加してきました。
身体の声を聞く。
これまでもの凄く不得意だったこと。自分の身体の感覚をより感じられるようになった、そのコツをひとつ掴んだような気がします。
自分に向き合う。
自分の身体に向き合う。
どこが何を感じてるのか。
どこがどんな風に動いているのか。
どう変わるのか。
そして、大事にする。
痛いやり方はやめて、痛くないやり方、心地よいやり方を選ぶ。
他の方法を色々試してみて、よいやり方を選んで、動きの質を良くしていく。
それは「今」自分が知覚している全てを大切にするってことかもしれない。
痛いやり方はやめて、痛くないやり方、心地よいやり方を選ぶ。
他の方法を色々試してみて、よいやり方を選んで、動きの質を良くしていく。
自分の身体は自分のものだから大事にする、とは違うのかも。
2013年11月9日土曜日
叔母のお見舞いに絡んだドラマ
ちょっと前に、大阪の叔母のお見舞いに飛んで行くことになって。
10年振り…いや、もっと会っていなかったかな?な叔母と、祖母達に会ってきました。
なぜか私だけ、とても疎遠になってしまっていたんですよね。
そのせいもあって、会う前に様々な心配や不安が怒涛のように沸き起こって。
まるで「はじめてのおつかい」をする子供のようでしたよ、我ながら(笑)
電話で多少話しをしていても、会っていないっていうのは、自分の中で勝手に想像が働いて、本当の本人の姿を見えなくしてしまうんだなぁと、改めて思いました。
祖母達は耳がもう相当遠いので、電話では会話するのが難しいってのもあるのですけどもね。
叔母の耳は大丈夫なのですが。
会ってしまえば、そんなのは誤解だと簡単に分かることでも。
自分の勝手な想像の中では、私の不安によって私が怖れていることを相手の姿のイメージが演じてくれます。それこそ、私の不安や心配の思い通りに。
10年振り…いや、もっと会っていなかったかな?な叔母と、祖母達に会ってきました。
なぜか私だけ、とても疎遠になってしまっていたんですよね。
そのせいもあって、会う前に様々な心配や不安が怒涛のように沸き起こって。
まるで「はじめてのおつかい」をする子供のようでしたよ、我ながら(笑)
電話で多少話しをしていても、会っていないっていうのは、自分の中で勝手に想像が働いて、本当の本人の姿を見えなくしてしまうんだなぁと、改めて思いました。
祖母達は耳がもう相当遠いので、電話では会話するのが難しいってのもあるのですけどもね。
叔母の耳は大丈夫なのですが。
会ってしまえば、そんなのは誤解だと簡単に分かることでも。
自分の勝手な想像の中では、私の不安によって私が怖れていることを相手の姿のイメージが演じてくれます。それこそ、私の不安や心配の思い通りに。
2013年10月26日土曜日
私にとって合う「優しい」とは
病気と障害で学んだこと、気付いたことを、思い出せるものを振り返ってます。
中でも、衝撃的だったのは、私にとって合う「優しい」について。
シータで出会う人達は、みんな優しいんです。
優しさ、愛に溢れている。
誰もがそれぞれに個性的で、優しさや愛の表現も、またそれぞれに個性的。
クリアリングされていない問題で表現が歪む人もいれば、魂の向いている方向からそうなる人もいるけど、どっちでも、どんな理由でも、本人ではない私には関係ない。
人によっては、それが厳格さや厳しさとして見えたりもします。
それは、私の目から見たら、というだけ。誰から見ても、である必要も無い。
厳しく当たられているように私には見えたり感じたりしても、愛からだと心から理解している私が居るわけです。
愛の受容体があるから、分かるんでしょうね♪
そして、その愛を受け取れる。優しさだとも受け取れる。
でも。
私の好みの問題ですが、どんな優しさの表現を好むのか、が私にもある。
どれだけ相手が愛からそれをしていたとしても、私が好まない表現というものがある。
私は、私の好みの表現を選んでいい。
好まないものは、受け取らなくていい。
中でも、衝撃的だったのは、私にとって合う「優しい」について。
シータで出会う人達は、みんな優しいんです。
優しさ、愛に溢れている。
誰もがそれぞれに個性的で、優しさや愛の表現も、またそれぞれに個性的。
クリアリングされていない問題で表現が歪む人もいれば、魂の向いている方向からそうなる人もいるけど、どっちでも、どんな理由でも、本人ではない私には関係ない。
人によっては、それが厳格さや厳しさとして見えたりもします。
それは、私の目から見たら、というだけ。誰から見ても、である必要も無い。
厳しく当たられているように私には見えたり感じたりしても、愛からだと心から理解している私が居るわけです。
愛の受容体があるから、分かるんでしょうね♪
そして、その愛を受け取れる。優しさだとも受け取れる。
でも。
私の好みの問題ですが、どんな優しさの表現を好むのか、が私にもある。
どれだけ相手が愛からそれをしていたとしても、私が好まない表現というものがある。
私は、私の好みの表現を選んでいい。
好まないものは、受け取らなくていい。
そんな単純なことに、はっと気付いたんですよ。
2013年10月22日火曜日
セミナー「病気と障害」にお手伝いで参加してきました
先日、病気と障害のアシスタントに呼んで頂けました。
アシスタントと言っても、受講者さんと一緒に受講して、ワークして、なので、まるで再受講生なんですけどね♪
病気と障害は別の方から受けたので、また違った伝え方を体験できて、本当に私は恵まれています。
このありがたいことを、たっぷりと受け取らせて頂きました。
アシスタントと言っても、受講者さんと一緒に受講して、ワークして、なので、まるで再受講生なんですけどね♪
病気と障害は別の方から受けたので、また違った伝え方を体験できて、本当に私は恵まれています。
このありがたいことを、たっぷりと受け取らせて頂きました。
2013年10月2日水曜日
「ジャッジ」をやめる…?
「ジャッジをしない」「評価をしない」
よく言われたり、目にしたりしますよね。
スピリチュアルに限らず、心理系、精神的な障害を乗り越える方法とか、自己啓発とか、哲学とか。
そうしたら良くなれる、楽になれるって。
でも、ついついジャッジしちゃいますよね。
「あぁ、またやってしまった、ダメだダメだ…」って、これもジャッジ(笑)
私のジャッジ癖をよーーーく見ると。
悪く見る、ダメに見る、否定するジャッジが多かった。
「こんなこともできない私はダメ」「悪く見るのはダメ」「否定も良くない」
ほら、否定だらけ(笑)
そして、これに続くのが
「できるようにならなきゃ」
「悪く見るんじゃなくて、良いと見なきゃ」
「否定じゃなくて受け入れなきゃ」
より良くなることを願ったり望んでいるように見えて、「そうしなきゃ」と強制してる。
それ、願いでも望みでもないよね。強制、押し付けだよね。
「ねばならない」の、ねばねば地獄。
これ、やめなきゃ…じゃなくて、「やめたい」って思った。 ←思い直した(笑)
それで「どうしたらいいだろう?」と求めて、思い付いたのは。
「全部OK」ってしたらどうだろう?
どうせジャッジしてしまうなら、「ダメ」と悪いほうにジャッジするんじゃなくて、「イイ」って良いほうにジャッジしてしまおう。
そうして、何もかも全部受け入れちゃえ!って。
よく言われたり、目にしたりしますよね。
スピリチュアルに限らず、心理系、精神的な障害を乗り越える方法とか、自己啓発とか、哲学とか。
そうしたら良くなれる、楽になれるって。
でも、ついついジャッジしちゃいますよね。
「あぁ、またやってしまった、ダメだダメだ…」って、これもジャッジ(笑)
私のジャッジ癖をよーーーく見ると。
悪く見る、ダメに見る、否定するジャッジが多かった。
「こんなこともできない私はダメ」「悪く見るのはダメ」「否定も良くない」
ほら、否定だらけ(笑)
そして、これに続くのが
「できるようにならなきゃ」
「悪く見るんじゃなくて、良いと見なきゃ」
「否定じゃなくて受け入れなきゃ」
より良くなることを願ったり望んでいるように見えて、「そうしなきゃ」と強制してる。
それ、願いでも望みでもないよね。強制、押し付けだよね。
「ねばならない」の、ねばねば地獄。
これ、やめなきゃ…じゃなくて、「やめたい」って思った。 ←思い直した(笑)
それで「どうしたらいいだろう?」と求めて、思い付いたのは。
「全部OK」ってしたらどうだろう?
どうせジャッジしてしまうなら、「ダメ」と悪いほうにジャッジするんじゃなくて、「イイ」って良いほうにジャッジしてしまおう。
そうして、何もかも全部受け入れちゃえ!って。
2013年9月20日金曜日
DNA3ようやく受けてきました
去年末くらいから何度か受講しようと思い立つものの、なかなか受講しに行けなかったDNA3。
やっと受講することができました。
5日間なのですが、もう少し、せめてあと2~3日欲しかった。
でも、これも最高最善なのよね。
やっと受講することができました。
5日間なのですが、もう少し、せめてあと2~3日欲しかった。
でも、これも最高最善なのよね。
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