2012年11月23日金曜日

たまねぎをむいていく


クリアリングをしていくことをたまねぎの皮をむいていく、って例えることがありますよね。
何枚剥がしても、むいてもむいても、まだむける。
その先に、一体何が隠されていると思っているのかな、と。
ふとそんなことが頭を過ぎりました。
「本当の自分」?
「本当の自分」って何?
むいてむいて、どんどんむいていったら、そこにクリスタルが埋まっていると思っていて、それが「本当の自分」なんだと思ってないだろうか?
ステキでキラキラしたクリスタルが本当の自分で、それをたまねぎが覆い隠してる。このたまねぎに見えるのは自分じゃないんだ、と。

たまねぎはたまねぎ。どんだけむいていってもたまねぎじゃないのかな?
クリスタルを探してむいていったら、きっと細胞の最後の1つになっても「まだ見つからない」ともっともっとむいていってしまうのかな?
細胞をもっとむいていって、分子、原子、陽子に中性子、素粒子?そこまで行けたら、ようやく見つけたと思えるのかな?

2012年11月10日土曜日

「わからない」

「ここから先は「わからない」は禁句ですからね」

これはアシスタントで参加させて戴いた基礎DNAで、心に引っかかった一言。

「わからない」は、「わかりたくない」と「わかれない」に分けられるのかもしれない。
「わかりたくない」は、わかる自分になりたくない、それはつまり防御。
「わかれない」は、わかることができる段階に達していないってことかな。

基礎DNAの講座に参加している時点で、その人は「わかれる段階」には達しているものね。
その段階に達していないなら、参加していない。
だから、彼らにとって「わからない」は、「わかりたくない」ということ。
わかりに来たのに、「わかりたくない」と逃げ回ることは許さないよ、ってことかもね。


段階に達していないから、わかりたくても、何をしてもわかることができない。
そんなのは日常にも沢山あると思う。
その時わからなくても、ある日突然ひらめくようにわかるときがあると思う。
それは、その時までの間にあった何かが、「わかる段階」に至るまで、パズルのピースをひとつひとつ埋めることになっていたのでしょうね。

どちらにしろ、一足飛びで「わかる」を手に入れられるものではないのかもね。


でも。
「わかりたくない」は、「自分はそれをわかってもいい」と思える段階に達して無いだけ、とも考えられて、結局は同じことかもしれない。