2013年10月26日土曜日

私にとって合う「優しい」とは

病気と障害で学んだこと、気付いたことを、思い出せるものを振り返ってます。
中でも、衝撃的だったのは、私にとって合う「優しい」について。

シータで出会う人達は、みんな優しいんです。
優しさ、愛に溢れている。
誰もがそれぞれに個性的で、優しさや愛の表現も、またそれぞれに個性的。
クリアリングされていない問題で表現が歪む人もいれば、魂の向いている方向からそうなる人もいるけど、どっちでも、どんな理由でも、本人ではない私には関係ない。

人によっては、それが厳格さや厳しさとして見えたりもします。
それは、私の目から見たら、というだけ。誰から見ても、である必要も無い。
厳しく当たられているように私には見えたり感じたりしても、愛からだと心から理解している私が居るわけです。

愛の受容体があるから、分かるんでしょうね♪
そして、その愛を受け取れる。優しさだとも受け取れる。

でも。
私の好みの問題ですが、どんな優しさの表現を好むのか、が私にもある。
どれだけ相手が愛からそれをしていたとしても、私が好まない表現というものがある。
私は、私の好みの表現を選んでいい。
好まないものは、受け取らなくていい。

そんな単純なことに、はっと気付いたんですよ。

2013年10月22日火曜日

セミナー「病気と障害」にお手伝いで参加してきました

先日、病気と障害のアシスタントに呼んで頂けました。
アシスタントと言っても、受講者さんと一緒に受講して、ワークして、なので、まるで再受講生なんですけどね♪
病気と障害は別の方から受けたので、また違った伝え方を体験できて、本当に私は恵まれています。
このありがたいことを、たっぷりと受け取らせて頂きました。


2013年10月2日水曜日

「ジャッジ」をやめる…?

「ジャッジをしない」「評価をしない」
よく言われたり、目にしたりしますよね。
スピリチュアルに限らず、心理系、精神的な障害を乗り越える方法とか、自己啓発とか、哲学とか。
そうしたら良くなれる、楽になれるって。

でも、ついついジャッジしちゃいますよね。
「あぁ、またやってしまった、ダメだダメだ…」って、これもジャッジ(笑)

私のジャッジ癖をよーーーく見ると。
悪く見る、ダメに見る、否定するジャッジが多かった。
「こんなこともできない私はダメ」「悪く見るのはダメ」「否定も良くない」
ほら、否定だらけ(笑)

そして、これに続くのが
「できるようにならなきゃ
「悪く見るんじゃなくて、良いと見なきゃ
「否定じゃなくて受け入れなきゃ

より良くなることを願ったり望んでいるように見えて、「そうしなきゃ」と強制してる。
それ、願いでも望みでもないよね。強制、押し付けだよね。
ねばならない」の、ねばねば地獄。

これ、やめなきゃ…じゃなくて、「やめたい」って思った。 ←思い直した(笑)
それで「どうしたらいいだろう?」と求めて、思い付いたのは。

「全部OK」ってしたらどうだろう?

どうせジャッジしてしまうなら、「ダメ」と悪いほうにジャッジするんじゃなくて、「イイ」って良いほうにジャッジしてしまおう。
そうして、何もかも全部受け入れちゃえ!って。