2014年4月27日日曜日

問題をなんとかするには

問題をどうにかしたければ、まず、「自分は何をどうしたいのか」を認識する必要があるかも。
その為には、何が自分にとって問題なのか、自分にとってのこの問題の本質は何なのかを、しっかりと認識する。そういうことでもあるよね。現状をしっかりと認識することも、必要よね。
別の言い方をすれば、自分にとっての、「こうなれば解決」を認識することでもあるよね。

この、問題の整理が苦手な人もいるのよね。
頭の中だけでやるのが苦手なら、紙に書き出すなりして、整理してみたらいいと思う。
「何をどうしたいのか」が分かれば、その為には「何をすればいいのか」が分かってくるから。




何をどうしたいか分からないけど、何となく「うまくやる正解」があるような気がしていて、何をどうすればいいのかも分からない。
現状認識をしようとすると、自分を責めずにはいられなくて、責めることに忙しくて、現状認識をしていたことを忘れてしまう。
「正解」の次の一手は何だろう?それが分からないから、何をどうすればいいかが分からず立ち尽くす。
失敗はしたくない。つまり、失敗することが有り得る前提。何が失敗で何が成功かもあやふや。
あやふやだから、「これは失敗では?」との疑念が、あらゆるものを「失敗なんだ」に結び付ける。
失敗した気になって、失敗と判断した行為を後悔して、それで反省した気になる。
失敗したって思うから、そこで「試行錯誤中」から離脱して、「失敗」を確定する。
後悔した特定の行為を「やってはいけない」と思い込みを創り込んで、そして学んだ気になる。
多分ね、私達が学び身に付けに来ていることは、思い込みなんかではなくて「美徳」なのよ。


「何をどうしたいのか」が分かれば、その為には「何をすればいいのか」が分かってくる。

方法がわからないなら、適切な方法を調査して選定すればいい。
情報が足りないなら、情報収集。
誰かに動いてもらう必要があるなら、動いてもらうよう働きかける。
上手く伝えられないなら、上手く伝えるやり方の練習から始めるのもひとつの方法だし、代わりに伝えてくれる代理を立ててもいいし。
伝える為に何もしていないのであれば、何らかの行動をすればいい。

「そこをどのようにすればいいか分からない」と、また問題が浮かび上がってきたなら、それを自分はどうしたいのか、整理する。
やり方を分かりたいのか、分からないままでも結果が出ればいいのか、もっと違うことをしたいのか。

「「どうすればいいか分からない」と、立ち竦んでいたい」のであれば、そう呟いて立ち竦んでいることこそが、「こうしたい」が叶っている状態なのよね。


「こうしたいけど、それには方法の選択肢はこれしか無い、けど、やりたくない」だとしても。
その方法をやりたくないとの思ってしまうのを解消して、気軽にやれるようになってしまうのも、ひとつの方法だし。
「これしか無い」にしてしまっている、他の選択肢を捨ててしまってるのを、捨てなくていいようになる(別のもっと自分がやりやすい方法を選ぶ)のもひとつのやり方。
「こうしたい」自体を、別にしなくてもいいやってなるのも、また、ひとつの方法。
もっと違うやり方だってあるはず。
どれが好みのやり方なのかは、色々。十人十色。
でも。
やりたくないのに無理矢理やることを頑張ったり、誰かに押し付けることに奔走したり、罪悪感を感じつつ逃げ回ったり、だけしか解決方法に選べなくなってない?
それしか認められる解決方法は無いと、決めつけてしまっていない?
そうして、自分を自分で縛って、自分で苦しめてない?
その、こだわってるやり方が、本当に自分が大好きなやり方なら、楽しんでやればいいんじゃない?

「自分の能力を最大限に引き出すには苦しんで追い詰められなきゃできなくて、そうすることが、自分の好みのやり方なんだ」ってなら、自分を追い詰めて苦しんでいればいいかもだけど。
でも、追い詰められて苦しまなくても、楽々と微笑みながらも自分の能力を最大限に引き出せてもいいかもね?
あなたの好みは、どんな風?

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