2013年2月12日火曜日

北風と太陽

セッションで変わられるのをお手伝いするのに、シータのプラクティショナーやスピリチュアルな実践をされていない方に対して、自分でもよくわからない微妙な抵抗感があったりしたのですが。
その理由が見えてきました。

どうやら。

自分をより良く変えるために、自分の悪い部分を敵視して、大嫌いになって、その部分を切り捨てて殺してやっつけて良くなろうなんて悲しいことしないで!

という想いが奥底にあるみたい。



自分の心は、自覚できている顕在意識は氷山の一角で、残りの意識できない無意識は9割にもなるという説があること。
自分を辛い目に遭わせている思い込みであっても、それは自分自身を守るための大切なもので、ここまで生き延びてきた役に立っている大事なものであること。
それを嫌って、許さず、ただ敵視して切り捨てる、ダメな自分の部分を殺そうとするのは、氷山の一角 v.s. 無意識という戦争になる。
善悪の判断は無く手段を選ばない無意識に顕在意識が勝つには、どれほど強力な意志が必要か。
どちらも傷付き、どちらも苦しみ、結局はそれはどちらも自分自身。

そのようなことを、時々人に伝えてきたのは、こういうことか…と。


私自身も、ここまで長い間そうやって自分のダメなところと闘って打ち勝つことが自己鍛錬と思って生きてきました。
でも、それは違う。それは、自分の一部を殺すこと。
そして、殺されまいと必死に反撃するのも私自身の一部。

私は、私の沢山の大切な部分を、それまでの貢献も感謝せずに無下に殺して、それで自分は良くなったと思ってきた。
そうして、自分の大切な部分を削ぎ落として、どんどん少なくして、そして「足りない」と、補充するのではなく、更に削ぎ落とすことをして来た。
どんどん自分の一部を殺して小さく少なくして来た。

それが今、ようやく、全てを受け入れて、これまでを感謝して、「それは今は必要ないよね」と手放すことで、ダメな部分も含めて全体で変わる、変われるのだということが…本当に腑に落ちてきた。
昨日まではただ、頭で分かっていただけだと、やっと分かった。

旅人のコートを脱がすには、強く寒い北風ではなくて、温かい太陽の与える温度。もう寒さを凌ぐ防寒着は必要ないと教えることで、自らコートを手放せるのだよね。簡単に手放せるのだよね。

それを、やるの。
そうして、削ぎ落として自分を減らすのではなく、今ある全体で変わるの。
そのために、まず最初に取り組むのは、全てを、ダメな部分の自分も、それを持ち続けた自分も、それをダメだと思って切り捨てたい自分も、受け入れて温かく見つめること。全てに愛を注ぐこと。

シータは愛の実践だ。
超強力な北風じゃない。少なくとも、私はそうしたくない。
お願いだから、自分の一部を殺す武器にしないで。
そのように使わないで。使わせないで。


という考えが出てくるということは、私がそうしてきたからで、今もまだそうだからよね。
そして、もう、そうしたくないと分かってきたから、だからそれが見えてきた。
まだ、解決していないけど。それは、きっともうすぐね。

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